桶川飛行学校平和祈念館 - 桶川市, 埼玉県

住所: 日本、〒363-0027 埼玉県桶川市川田谷 2335番地の16 桶川飛行学校平和祈念館.
電話番号: 487788512.
ウェブサイト: city.okegawa.lg.jp.
専門分野: 地域歴史博物館.
その他の興味深いポイント: 車椅子対応のトイレ, トイレ, レストラン.
口コミ: この会社はGoogle My Businessで296件のレビューを持っています。
平均意見: 4.2/5.

の場所 桶川飛行学校平和祈念館

桶川飛行学校平和祈念館(おけがわひこうがっこうへいわきねんかん)は、埼玉県桶川市川田谷にある地域歴史博物館です。住所は〒363-0027 埼玉県桶川市川田谷 2335番地の16。電話番号は487788512。ウェブサイトはcity.okegawa.lg.jp

桶川飛行学校平和祈念館は、地域の歴史や文化を紹介する施設であり、特に飛行学校に関する展示が豊富です。その他の興味深いポイントとして、車椅子対応のトイレやレストランも完備されています。

口コミによると、この施設はGoogle My Businessで296件のレビューを持ち、平均意見は4.2/5と高評価です。

桶川飛行学校平和祈念館は、歴史と航空に興味がある方にとって魅力的な場所です。訪れる際には、地元の歴史や飛行学校に関する知識を深めることができるでしょう。

最後に、桶川飛行学校平和祈念館のウェブサイトを訪れて、より詳細な情報や展示内容を確認し、訪れる際に役立つ情報を入手することをお勧めします。お楽しみください!

のレビュー 桶川飛行学校平和祈念館

桶川飛行学校平和祈念館 - 桶川市, 埼玉県
中西充
5/5

戦前に陸軍の航空隊のあった施設が平和祈念館として修復保全されている。主に訓練生が生活していた宿舎などで当時の生活感がよく感じ取れる。主に飛行技術や航空機整備の座学が中心で実機を使った訓練は少し荒川を下った河川敷を滑走路として使っていたらしい。現在はホンダ航空の滑走路として利用されている。宿舎棟等は21年に当時の建材を再利用してきれいに修復されている。

現在でも昭和初期に作られた陸軍と海軍の飛行訓練場跡が関東は茨城県、九州は福岡県、大分県、鹿児島県等に平和祈念館として数多く残されている。戦況が昭和20年頃から徐々に敗戦の色合いが濃くなりそれまでの米軍の首都圏への上陸の可能性が薄れ代わりに九州方面への上陸の可能性が現実味を帯びてきた。その頃から九州防衛のため陸軍も海軍も飛行隊員を九州方面へ送り込んだ。そして終戦間近には多くの若者が特攻隊として陸軍は鹿児島の知覧飛行場から海軍は鹿屋飛行場から戦場に散った。

アクセスはJR高崎線の桶川駅から川越行きの路線バスがあり荒川の太郎右衛門橋の手前のバス停で降りると徒歩5分で便利。距離は約10㌔程、本数は1時間に一本程度。

桶川飛行学校平和祈念館 - 桶川市, 埼玉県
takasan.
4/5

(2024.04)
埼玉県桶川市の「桶川飛行学校平和祈念館」です
入場料は無料です

ここは、陸軍航空兵になるための飛行機の操縦教育を受けた場所で、教育後は戦地へ向かったようです

現在の平和な時代があるのは、ここを飛びたった若者達がいたからと思うと感慨深いものがあります

以上

桶川飛行学校平和祈念館 - 桶川市, 埼玉県
Junko
5/5

3年前(2020年)に建てられたそうで、まだ新しい施設でした。無料で入館できるのに人がいなくて、もっと沢山の人が訪れて欲しいと思わせる施設でした。
戦時中の飛行学校としての展示、特攻隊についての展示、平和への取り組みの展示、どれも読んでいて興味深かったです。
現在のトイレの横に展示用トイレがあり、こんな小さな穴から汲み取りをしていたんだ、など感慨深かったです。

桶川飛行学校平和祈念館 - 桶川市, 埼玉県
ヤマ田太郎
5/5

「次の荒鷲は、君達だ!」という陸軍航空隊の魅惑のキャッチフレーズに胸を高鳴らせて、この飛行学校の門を叩いた若者はどれぐらいいたのでしょうか。ここは実戦部隊ではなく飛行のイロハを学ぶ訓練学校の校舎や宿舎がありました。
軍関連施設は戦後すぐに取り壊されてしまったものが多いのですが、この桶川飛行学校は戦後の引き上げ者の宿舎として近年まで使われていたので、奇跡的に残りました。
訓練用滑走路はすぐ近くの荒川河川敷にあり、そこは今でもホンダエアポートとして主にスカイダイビングの離発着の拠点として使われています。

滑走路近くまで行けるので、是非こちらもどうぞ。ワタシはちょうど体験スカイダイビングの人たちが降りてくるところを見学出来ました。もとは訓練用飛行場ということもあり落下傘部隊、ドイツ風に表現するなら「降下猟兵」に見えて仕方がありませんでしたが(笑)。

宿舎の内装も復元され、ベットなども置かれて当時の訓練生たちの生活の様子が分かるのは高ポイントです。一部屋に18人が押し込まれ、狭すぎてベット間が密着しているので頭と足の位置が交互になるように設置されているのが面白かったです。隣にイビキのうるさい人や足の臭いがキツイ人が来たら厳しかったでしょうね(笑)。

私物は壁に造り付けの、小さな二段の棚に置いてあるものが全てでした。ここで若い彼らは青春を空へと捧げたんです「私は鳥になる!」と。
午前5時半には起床し朝食をとり、6時半には河原の飛行場に降りて飛行訓練を始めたというから、ずいぶん朝は早いですね。ワタシは無理そう(笑)。

その飛行場は今では東京スカイダイビングクラブのセスナCー208が離発着を繰り返していました。(写真参照)
実はこの飛行機は訓練学校時代の95式練習機からすると、あり得ない加速とスピードで離陸し、あり得ない角度で上昇しています。小型軽量高出力のターボプロップ(ガスタービン)機関のおかげです。
もし当時の訓練生が見物していたら、驚きで目を丸くしていた事でしょう(笑)。

桶川飛行学校平和祈念館 - 桶川市, 埼玉県
daizo sato
4/5

入場無料、月曜定休。
日本で3番目の航空学校があったところ。宿舎と教練の跡地画復元されていて、学校の成り立ちから戦争の悲しみまで順路に沿って説明が見られます。最後は特攻隊の訓練があり戦争の悲惨さをリアルに感じ取れました。

桶川飛行学校平和祈念館 - 桶川市, 埼玉県
Hiroshi Takagi
5/5

県道12号線の川島町と桶川市を結ぶ太郎右衛門橋を渡る際、いつも看板が気になっていたので訪問しました。
旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡地を復原整備して2020年(令和2年)に平和祈念館として開館したそうです。
入館料は無料で、正門手前に砂利ですが整備された10台程度止められる駐車場があります。
正門を入る手前の左側に弾薬庫、正門を入ってすぐ左側に守衛棟、右側に車庫棟、正面の大きな建物が兵舎棟、兵舎棟の裏手に便所棟の計5棟があります。
その他かつて建物があった場所には基礎が残っており「建物跡」の看板があります。
メインの展示は兵舎棟になり企画展も開かれています。私が伺ったときは、ちょうど上映が始まったところで職員の方に展示室まで案内していただきました。とても親切な方々でした。
祈念館に至るまでの歴史も展示室の映像15分程で学ぶことができます。
平和を学習する上で貴重な場所だと思います。

桶川飛行学校平和祈念館 - 桶川市, 埼玉県
呉甕
5/5

わざわざ遠くから来場される方は少ないと思いますが、上尾桶川にお立ち寄りの際には寄っていただきたい。所沢航空記念公園に比べると小さく展示物も少ないですが、ちょっと前の時代に ここで特攻隊の為の訓練をした若者がいて 戦争があって、小さな子が焼夷弾くぐり抜けて小学校へ通った地域なんだと感じて欲しい。
https://teitowalk.blog.jp/archives/28404241.html

桶川飛行学校平和祈念館 - 桶川市, 埼玉県
T M
5/5

桶川飛行学校平和祈念館
JR高崎線桶川駅西口から、「東武バス」川越駅行き10分、バス停「柏原」徒歩5分
市内循環バス「べにばなGO」路線番号「西10 いずみの学園回り」または「西11 薬師堂・いずみの学園回り」バス停「西24 三ツ木」徒歩15分
かつてこの場所にあった熊谷陸軍飛行学校桶川分教場は熊谷陸軍飛行学校の分校として1937年(昭和12年)に設置されました。各地から集まった生徒はここで寝食をともにしながら、飛行機の操縦教育を受けたようです。
戦後、桶川分教場の建物は、市営住宅「若宮寮」として使用されました。2016年(平成28年)には、守衛棟、車庫棟、兵舎棟、便所棟、弾薬庫の5棟が市の文化財に指定され、2018年(平成30年)から2020年(令和2年)にかけて、これらの建物について復原整備工事を実施しました。
廃墟化していた本施設を有志の方々と桶川市が協力して再建し、当時の航空史と平和の資料館に作り上げた事は本当に素晴らしい事だと思います。日本全国でこのように貴重な歴史的遺産を保護再建して後世に残してほしいと感じました。

The Kumagaya Army Flight School Okegawa Branch School, which used to be located at this location, was established in 1937 as a branch school of the Kumagaya Army Flight School.
Students from all over the country received training in flying airplanes here.
After the war, the Okegawa branch school building was used as the municipal housing ``Wakamiya Dormitory''. In 2016 (Heisei 28), five buildings, the guard building, garage building, barracks building, toilet building, and ammunition storage building, were designated as cultural properties of the city, and from 2018 (Heisei 30) to 2020 (Reiwa 2) Restoration work was carried out on these buildings over 2010.

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