化粧櫓 - 姫路市, 兵庫県

住所: 日本、〒670-0012 兵庫県姫路市本町68 化粧櫓.
電話番号: 792851146.
ウェブサイト: city.himeji.lg.jp
専門分野: 城, 観光名所.
その他の興味深いポイント: 車椅子対応の駐車場, 車椅子対応の入り口, 子ども向き.
口コミ: この会社はGoogle My Businessで53件のレビューを持っています。
平均意見: 4.1/5.

📌 の場所 化粧櫓

化粧櫓 日本、〒670-0012 兵庫県姫路市本町68 化粧櫓

⏰ の営業時間 化粧櫓

  • 月曜日: 9時00分~16時00分
  • 火曜日: 9時00分~16時00分
  • 水曜日: 9時00分~16時00分
  • 木曜日: 9時00分~16時00分
  • 金曜日: 9時00分~16時00分
  • 土曜日: 9時00分~16時00分
  • 日曜日: 9時00分~16時00分

化粧櫓

住所: 日本、〒670-0012 兵庫県姫路市本町68 化粧櫓。

電話番号: 792851146

ウェブサイト: city.himeji.lg.jp

専門分野: 城, 観光名所

化粧櫓は姫路城の西の丸御殿の近くに位置し、「西の丸御殿」から千姫が実際に来たのかなと疑問にされるような立地です。

千姫が化粧櫓に居たり通ったようなイメージがありますが、「西の丸御殿」から千姫が実際に来たのかなと疑問、何で化粧という名の櫓⁉️」と言えるほど、千姫とゆかりのある場所です。

この櫓内の千姫の木像が印象的でした。

以前から「何で化粧という名の櫓⁉️」と言えるほど、歴史に翻弄された悲劇の千姫とゆかりのある場所です。

「百間廊下」を見学した方の出口、西の丸では一番大きい2層2階の櫓、ここだけ急に屈折して「西の丸北門」と二の丸「いの門」から「ろの門」方面を横矢迎撃出来る見下ろすような立地です。

化粧櫓自体の中身は畳敷き・襖あり書院造り風で窓も多く明るく優しい造り、でも防御力高し。

車椅子対応の駐車場、車椅子対応の入り口、子ども向きなど、多くの利便性を提供しています。

その他の興味深いポイント: 車椅子対応の駐車場, 車椅子対応の入り口, 子ども向き。

口コミ: この会社はGoogle My Businessで53件のレビューを持っています。

平均意見: 4.1/5。

👍 のレビュー 化粧櫓

化粧櫓 - 姫路市, 兵庫県
お池
4/5

2代将軍徳川秀忠の長女で豊臣秀頼の妻だった千姫
大坂夏の陣の後に姫路城主本多忠刻に嫁ぐ際
化粧料10万石が与えられたので1618年に建てられた
ただし千姫が住んでいたわけではない

化粧櫓 - 姫路市, 兵庫県
Paradise W.
5/5

豊臣秀頼に若くして嫁いだ千姫が、大坂夏の陣で秀頼と死別後、本田忠刻と再婚。姫路城に移り住んだ際、天満天神を信仰し、毎朝の参拝で、休息所として利用したのがこの化粧櫓と言われています。歴史に翻弄された悲劇の千姫とゆかりのある場所。櫓内の千姫の木像が印象的でした。

化粧櫓 - 姫路市, 兵庫県
Toshi A.
4/5

☆以前から「何で化粧という名の櫓⁉️」
今は「百間廊下」を見学した方の出口、西の丸では一番大きい2層2階の櫓、ここだけ急に屈折して「西の丸北門」と二の丸「いの門」から「ろの門」方面を横矢迎撃出来る見下ろすような立地、化粧櫓自体の中身は畳敷き・襖あり書院造り風で窓も多く明るく優しい造り、でも防御力高し👀
千姫が化粧櫓に居たり通ったようなイメージがありますが、「西の丸御殿」から千姫が実際に来たのかなと疑問、何で化粧🤔

化粧櫓 - 姫路市, 兵庫県
ZEUS G. W.
5/5

姫路城通常公開エリア

・化粧櫓
徳川第2代将軍徳川秀忠公の愛娘千姫が本多忠刻と婚礼した時に増築造営された西の丸御殿横に造られた百間(180メートル)もある長櫓、または長屋。長屋とは現在で言うところのアパートメント・マンションこと。実際に家臣や千姫の従者が住んでいました。

※千姫について紹介します。
慶長2年(1597年)徳川第2代将軍徳川秀忠公と江の長女として山城国(現在の京都府)伏見城の徳川屋敷で誕生する。

慶長8年(1603年)7歳の時に豊臣秀頼と結婚し、従者と共に大坂城へ。

慶長20年・元和元年(1615年)19歳の時に大坂夏の陣で祖父徳川家康公の命にて落城する大坂城から津和野藩主坂崎直盛により救出される。

元和2年(1616年)桑名藩主本多忠政の嫡男本多忠刻と結婚。この時に津和野藩主坂崎直盛が輿入れ行列を襲い千姫強奪を計画する。これは大坂城落城寸前に家康公が千姫を救い出した者に、後に千姫と結婚させるという命に従い直盛は救い出したが、結果的に忠刻が婚約者になったことに直盛が激怒したことが原因。しかしこの計画は直盛の家臣達に発覚。津和野藩改易になりかねない事態に直盛の家臣達は主君、坂崎直盛を殺害するも、結果改易処分になる。
千姫が桑名に着くと化粧料として10万石が与えられ、程なく本多家は伊勢国桑名から播磨姫路に移封となり、姫路の民衆から播磨姫君と呼ばれるようになる。

元和4年(1618年)長女勝姫が産まれる。元和5年(1619年)には嫡男幸千代が産まれるも、元和7年(1621年)に3歳で早世してしまう。寛永3年(1626年)夫忠刻、姑熊姫(ゆうひめ)、母浅井江が次々に亡くなるという不幸が連続する。

そのため、千姫は本多家から勝姫と共に播磨から出る。去る日に姫路城大手門付近に千姫を慕う多くの民衆が集まり泣きながら彼女と勝姫を見送りました。そして江戸城に入り出家して天樹院と名乗り竹橋御殿に入ります。

寛永5年(1628年)勝姫が天樹院の父徳川秀忠公の養女となり、池田光政へ嫁ぎます。
寛永9年(1632年)徳川秀忠公が亡くなる。
寛永16年(1639年)に池田光政と勝姫の間に池田家嫡男綱政が産まれる。
寛永20年(1643年)鎌倉の東慶寺の伽藍を再建する。
正保元年(1644年)弟、徳川第3代将軍徳川家光公の側室夏の子で三男の綱重(甲府藩主で後の第5代将軍徳川綱吉公の兄にあたる人物。後の甲府宰相で第6代将軍徳川家宣公の父)を養子に迎え、大奥に対して大きな発言権を持つ。徳川第4代将軍徳川家綱公時代には大奥最高顧問になっている。
寛文5年(1655年)福井藩主松平光通の婚姻に関して嫁側の越後高田藩と勝姫に依頼され幕府の介入を行う。
明暦3年(1657年)世にいう明暦の大火により竹橋御殿が焼失した際に、叔父である紀州和歌山藩徳川頼宣公屋敷に一時期避難する。
寛文6年(1666年)に肺炎のため江戸で死去。70歳。
遺灰は文京区小石川の傳通院(でんつういん)、茨城県常総市にある天樹院弘経寺(くぎょうじ)に分骨されている。

千姫の性格は同情深く、嫉妬とは無縁の性格で、例え側室の子供でも優しく迎え入れている。反面頑固で一度許せないと思ったら、誰が相手でも引かない性格。

容姿は、秀忠公の聡明さと、母方の江や、淀殿や二人の母お市の美貌を受け継いだため大変美しすぎる姫君だった。そのため祖父家康公や父秀忠公から可愛がられ、姉弟仲、家光公、忠長公、異母兄弟の保科正之らとは姉弟仲は良好だった。

※乾小天守、ロの渡櫓、ハの渡櫓では徳川一門の奥平系松平家、前橋系松平家、榊原家を紹介します。
※姫路城西の丸跡では、本多家の歴史と戦国最強無双の漢(おとこ)といわれた本多忠勝についに紹介をしています。

化粧櫓 - 姫路市, 兵庫県
T.Oグルメ評論家
5/5

冬場に行くと
足裏がめちゃくちゃ冷たくなるから注意!
百軒廊下と言うだけあり長すぎて後半は足裏との勝負だった笑

歴史を肌から感じることのできる、当時のままの部屋や廊下が残る櫓。
お城に仕える女性たちが住んでいたため、櫓内の門は非常に分厚く大きな扉(門)であった。

化粧櫓 - 姫路市, 兵庫県
K大門
3/5

化粧櫓は、千姫が本多忠刻に嫁いだ際に、将軍家から贈られた10万石の化粧料の一部を使用して建設されたといわれている櫓です。

The Cosmetic Tower is said to have been built by using part of the dowry (100,000 koku) presented by the Shogunate family when Princess Sen married Honda Tadatoki.

階上には18畳、15畳、窓辺に6畳の3室をとって、天井には杉柾張り、壁面はすべて黒い木枠に紙を張ったものをはめ、隅々まで技巧を凝らした住宅様式になっています。
千姫が城の西北にある男山天満宮を遥拝する際に、休憩所としてこの化粧櫓を使用したといわれています。
武蔵野御殿など、桃山時代の居館様式をもつ建物が姫路城内で消失している現在、化粧櫓の存在価値は非常に大きいものがあります。

The tower includes three rooms on the upper floor, namely, an 18-mat room, a 15-mat room, and a 6-mat room situated near a window.
Straight-grained cedar formed the ceiling, while all wall surfaces were fitted with black wooden frames covered with wallpaper.
This housing style uses a variety of techniques in every corner of the structure.
It is believed that Princess Sen used this Cosmetic Towerevery morning as a resting place when she worshipped Otokoyama Tenmangu ( Tenjin-sha ) Shrine, which was located to the northwest of the castle.
As the buildings reflect the residence style of the Momoyama period ( the 16th century ), the value of the existing Cosmetic Tower is quite significant considering that the other dwelling palaces are no longer in existence in today's Himeji Castle.

化粧櫓 - 姫路市, 兵庫県
Shin M.
5/5

姫路城内を見て回って、特別公開(200円)だった化粧櫓に入って見ました。ここだけが畳敷きで内装も普通の日本家屋みたいで、同じ姫路城内とは思えない感じです。
途中の百間櫓も天気が良い割には風が強くて涼しいを超えて若干寒い感じで、櫓上に住んでた人は冬は耐えられなかったのでは。

化粧櫓 - 姫路市, 兵庫県
セントオウル
4/5

夏場に行きました
風も通って非常に素晴らしいし
人も他エリアに比べると少し少なめです

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